語呂合わせで覚える聖句 2
いいな いいな 真の友は
格言 17:17
「真の友はどんな時にも愛を示す。苦難の時に頼れる兄弟である」
語呂合わせで覚える 聖句 1
1、2、1、2と悪魔が天から落ちた。
啓示 12:12
「それで天とそこに住む者たちよ喜びなさい!。
地と海にとっては災いがある。悪魔が自分に残された時
が短いことを知り、大きな怒りを抱いて、あなた方のところに下ったからです。」
悪魔を非人格者と捉えている人も多いが、この聖句を
どのように理解できるのだろうか?
無輸血治療 その7
集中治療室の面会は近い親族しか許可されていなかった。友人たちの見舞いは丁重にお断りさせていただいた。父が面会にきた。集中治療室で妻の顔色が土色なのをみた後、小声で呟いた。「ダメかもね」
しかし、15日間の集中治療室の後、一般病棟にも移され、ホッとした。しかし次の日、MRSAに感染しているとのこと。また心配になった。「症状が出ませんように」。祈るしかなかった。驚くことに、一週間後、退院して良いとのこと。これにはびっくりした。
友人たちも驚いておられた。輸血していないと、快復が早いらしい。</p 妻の治療については、日本麻酔科学会(正式名称は不明)に論文掲載されたと聞いた。 その後、半年ごとに、病院で術後の診察が行われた。 迫田先生は「あなたは奇跡的だったんだよ」「ご主人は このまま記録を本にしなさい」やっと実現しそうで嬉しい。妻は手術の17年後、わたしと一緒にタイでの聖書レッスンをするため、タイ語に挑戦し、7年半、タイでの生活を楽しむことができた。多い時は毎週7人の聖書レッスンを行っていた。手術の後遺症といえば、肺のは機能が100%でないことだろうか。空気の薄さを感じると言う。あの時、100%の酸素を投入し続けていたら、どうなっていたのだろうか?迫田院長先生、有村麻酔部長、麻酔医の先生、看護士の方々に深い感謝をお伝えしたい。
無輸血治療 その6
集中治療室での24時間体制での懸命の治療が施されていた。担当の麻酔科の先生もこんな低いヘモグロビンの数値にどうやって対処したら良いかと苦慮されたことだろうと推察される。
先生から100%酸素の同意書にサインをお願いされた気がする。脳に酸素がいかなくなると脳死の状態になると。私は待合室で一番できることは祈りだった。あとは
他のICU患者の家族との会話だった。1人の方は18歳位の娘さんが風邪だと思ったところ、髄膜炎にかかっており、悪い状態とのことだった。ICU
で働いて下さっておられる医師、看護士の方々には感謝であった。 ふと、ある点が気がかりになった。以前「めざめよ」(エホバの証人の機関誌の一つ、もう一つの雑誌は、ものみの塔) に掲載された「鉄の肺」の経験だった。 ひょっとして、このまま、100%酸素を入れていると、 命は助かったとしても、肺の機能に障害が残るのではないかと。それで、事故当時は医療委員をおりていたので、当時の医療委員に高折益彦先生の連絡先を調べて頂いた。私は医療の素人なので、高折先生にこの状況で最善の治療のアドバイスを受けるためだった。先生はエホバの証人に関する無輸血手術の経験を数多くされていたからだった。先生は川崎医科大学を退官され、今は日赤の検診車で仕事をされておられることがわかった。 連絡がつかなかった2日が、とても待ち遠しく感じた。 ようやく連絡がついた。先生は直接、麻酔の担当の先生に電話して下さり、「今すぐ酸素の投入はやめた方が良い」と。この妻担当の若い麻酔医も、とても謙遜な方で 高折先生の提案に従ってくだだった。このお二方にも 感謝してもしきれない。無輸血治療 その5
セルセーバーというのは、術中回収式自己血輸血といって、
手術中に出血した血液をもう一度体内に還元させるシステム
である。これは高折益彦先生(エホバの証人ではない)が開発
されたものである。
詳しくは、「自己血輸血マニュアル(高折益彦著)」に書かれている。
このおかげで、心臓血管外科領域でも無輸血手術が可能となっている。
本当に感謝している。
妻の手術は、午前0時から始まった。私は必死に祈るしかなかった。
午前3時すぎに、院長先生が手術室からでてこられ、「開腹してみて
びっくりしましたよ。脾臓が破裂していて、腎大静脈は15㎝ほどパンク
状態で、胃も三分の一程度、切れていました。術後血液は600㏄程
しか残っていません。」
「あとは、本人の宗教と頑張りだけですね。」
私は、真夜中にもかかわらず、手術をしてくださったことに感謝と感動を
覚えた。先生方の苦労に報いるためにも「なんとか、助かってほしい」
と、祈り続けた。